この日、激しい雪の中、向かったのは、吉野林業発祥の地としても有名な奈良県吉野郡川上村。雪で車がスリップしないかと不安になりながら、往路での一枚…
というわけで、皆さんどうもこんにちは!
愛媛大学2回生。現在大学を1年間休学し、日本を駆け巡りたいインターン生の谷口です。
今日川上村にお邪魔したのは他でもありません。
金剛寺で執り行われる「朝拝式」に参加するために来たのです!
以前、川上村にお邪魔した際に、村の方に「朝拝式を見においで!」と誘っていただき
そして来ちゃいました。
川上村で続く、「朝拝式(ちょうはいしき)」とは?【過去】
皆さん、朝拝式という行事をご存知でしょうか?簡単に説明すると、南朝崇拝のために、西暦1459年(長禄3年)から川上村の金剛寺で継承されてきた儀式です。日付は毎年、2月5日。なんと今年で561回目を迎えました。
南朝崇拝って何?と疑問に思われる方のために、さらに詳しく説明しますと…
~南北朝時代の始まり~
1.天皇が2人⁈
時代は約680年前、南北朝時代と呼ばれる時代に遡ります。
当時、室町幕府を開いたことでも有名な足利尊氏は、京都に攻め入り、後醍醐天皇を比叡山まで追いやると、後醍醐天皇の在位中にも関わらず、新しく光明天皇を立てました。そして、2人の天皇が存在する空前絶後の異常事態となり、武家政治をしたい足利側と天皇政治をしたい後醍醐天皇側の対立が始まりました。
2.そして朝廷が2つに
その後、光明天皇に正統性を持たせるため、尊氏は3種の神器を後醍醐天皇から奪おうと、京都に幽閉してしまいます。しかし、これを予期していた後醍醐天皇は、偽物の神器を渡した上で、秘かに奈良県の吉野へ脱出されました。ここに北朝(京都)と南朝(吉野)が誕生しました。
そして、その後約60年もの間、両者は戦い続けました。
~南北合一と裏切り~
1.北朝の裏切り
そして長い争いの後、1392年(明徳3年)足利義満によって「今後、南朝と北朝が交互に天皇を立てる」という約束が取り決められました。そうして南北合一がなされ、三種の神器は南朝から北朝へと移りました。しかし、足利側の目的は本物の三種の神器を手に入れることであり、神器の権威を得た北朝が約束を守ることはありませんでした。
2.川上村へ
その後、この扱いに納得しなかった南朝の後亀山天皇の子孫が北朝より3種の神器の1つ「神璽(しんじ)(八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま))」を奪って川上村に入り、子孫の1人である尊義王に譲りました。そして尊義王が後南朝を立てると、その子どもである尊秀王(地元では自天王と呼ばれている)と忠義王が継ぐことに。
~南朝最後の悲劇~
しかし、次は赤松家の家臣がその神璽を奪い返しに尊秀王と忠義王の2つの御所を襲い、尊秀王の首級と神璽を持ち去ってしまいます。
その惨事を知った川上郷士たちは、逃走する赤松家の家臣を追跡した後に迎え討ち、首級と神璽を取り戻しました。その後、神璽はまた赤松家に奪われてしまいますが、川上郷士たちは、「尊秀王こそ我らが天皇」として彼を自天王と讃え、首級を金剛寺へ厚く葬りました。
~朝拝式の始まり~
三之公の河原にて行われた自天王の即位式の折、高座で見せた王のうれしそうな笑顔が忘れられず、この儀式を再現すれば亡き王の霊も喜ぶだろうということで郷士たちが吉野川の河原で始められたのが由来とされています。今年561回目を迎えた朝拝式には、このような物語がありました。
朝拝式が執り行われるここ金剛寺には、南朝最後の皇子「自天王」と「忠義王」が祭られています。
変わりゆく朝拝式の今【現在】
朝拝式では、村の男性たちが裃(かみしも)を身に纏い儀式を行います。
この裃姿がより一層、朝拝式の歴史の深さを想起させます。
そして特徴的なのが、国の重要文化財にも指定された自天王の遺品である兜や鎧への参拝のシーンです。
遺品に息がかからないように、榊の葉を口にくわえ、行われるのです。
沈黙が、緊張感を生み、式をより神聖なものにしていくと感じました。
このようにして、561年間続けられてきたと言われる朝拝式。
集まった人々を見渡してみるとざっと50人の方々が参加しておられました。
今でこそ村民、私のような村外の者と問わず、誰もがその場へ集まることのできる朝拝式ですが、元々は「筋目」と呼ばれる刺客を討った郷士の子孫のみが参加を許された行事でした。ソトモノはおろか、村人でさえ「筋目」の者でないと見ることが許されない儀式だったということです。
ところが、近年の過疎化や高齢化が加速する時代においてお、伝統儀式存続のために2007年より一般公開が始まりました。このような決断に至るまでには、10年以上の議論が重ねられたと言います。
~想いを繋ぐために~
ここで今回のタイトル【変わらないために、変わり続ける】に帰ってきます。
朝拝式には
① 変わらない「想い」
② 変わりゆく「繋ぎ方」
この2つを感じました。
①には
- 自天王という先祖が大切にしてきた方への祈り
- 歴史ある川上村民としての誇り
があるのではと感じたものがありました。
この先人たちから受け継がれてきた、変わらぬ「想い」には何年先も変わらぬ「価値」があり、人々の誇りとなるものではないかと、そう感じたのです。
しかし②です。
変わらぬ「想い」を取り巻く環境は変わっていきます。ここで、考えなければならないのは「何を変えたくないか」ではないでしょうか。
今回の朝拝式であれば、
変えたくないもの=想いを伝承することで変わらぬ価値を誇りに思うこと
ではないかと思います。
そうなれば、まず伝承することが必至です。以前のように筋目の方たちだけじゃ、いずれ途絶えてしまう。じゃあ、もっと広く伝えるようにしよう。
そうして、時代に合った「繋ぎ方」に変える。
つまり、「変わらないために、変わり続ける」と感じたわけです。
これからの朝拝式のカタチ【未来】
朝拝式が今後どのように今の社会に浸透していくのかが気になるところではありますが、先ほどの
「変わらないものを残していくために、やり方を変えていく」
というのは、今の私に必要な教訓なのではないかと感じました。
私に当てはめて考えてみると…
- 変えたくないもの=冒険心、探求心
- そのために変えていくもの=視点、思考、居場所
なのかもしれません。
朝拝式を見に行ったはずが、自分のあり方を見つめ直す体験になりました。
さて、みなさんは「何かを変えないために、何かを変える」
こんな経験はありませんか?
是非私に、現地まで聞きに行くかせてください!
それにしても、やっぱり現地に赴いて肌で感じるっていいですね!
寒さもとことん感じてきましたが…
ということで今回は、川上村の朝拝式にお邪魔した体験をご紹介しました。
次は一体どこに出没するか是非お楽しみに!