東北の冬、囲炉裏を囲んでお茶の時間。
皆がほっと温まる時間。
その時間を演出するのは
自然界でも、そして私たちの生活の中でも
長く生き続けるトチの大木でした。
東北の冬、囲炉裏を囲んでお茶の時間。
皆がほっと温まる時間。
その時間を演出するのは
自然界でも、そして私たちの生活の中でも
長く生き続けるトチの大木でした。
福井県のとある森の中に“それ”は存在します。
—1900年初期、大日本帝国陸軍が残したロシアの脅威から国土を守るために設置された要塞。
現代では想像しえない壮絶な時代を伝えるレガシー(遺産)を森は守り続けています。
皆さんの身の回りの森も、実は何かひっそりと守っているものがあるかもしれませんよ。
出雲風土記にも記載があり、全国有数の由緒正しき大社造りの荘厳な本殿を持つ八重垣神社(島根県)。
スサノオノミコトとイナタヒメを祭る形で神代の時代に建立され、夫婦和合と縁結びのご利益があると言われています。
そんな八重垣神社の社務所前に佇むのは、「連理の杉松」と呼ばれる大木。
大きな幹を見上げると、2種類の葉が見え、杉の木に松が挿し木状態で融合していることが分かります。
~立て看板の説明文より~
天佑神助の御神木
昭和の中頃より、その姿は現れいでており、
杉と松が共に成長している様は大変珍しく、
当社御祭神の御神徳の表れであり、夫婦和合、共存共栄の象徴である。
夫婦和合や縁結びのお参りの際には、「連理の杉松」のパワーにも触れてみてはいかがでしょうか?
広葉樹の山が、彩り鮮やかになる季節。
紅葉する山肌を眺めていると、植林された杉桧の姿が特に際立ちます。
ここも、人の手で植林された杉林。
あれ・・・?よくみると、ハート型に見えてきませんか?
高速道路を使って、移動中に見えた景色でした。
森づくりは、すなわち景色をデザインする仕事。
手入れされた森林には、ハート(心)がこもっているのです。
滋賀は彦根城、天守最上階の梁。
天井板は張られておらず、曲がりくねった松を眺めることができます。
彦根城は、関ケ原の軍功を認められた井伊氏によって築城されました。
すぐ近くには、合戦で敗軍となった石田三成の居城、佐和山城がありましたが、
これを解体し、彦根城が建てられました。
つまり、彦根城も、いわゆるリノベーション建築!
ゲン担ぎや材料調達の短縮など、様々な意味を込めて、
城のリノベーションは、一般的だったようです。
特にクセのある木材を使った天井は、職人の手腕の見せ所。
見晴らしの良い城下町の景色も去ることながら、城内の天井も圧巻です。
10月26日、吉野木材協同組合連合会(奈良県吉野町)にて、秋季選木市が開催されました。
毎月の定例市で、吉野エリアから数々の丸太が出荷される当市場ですが、
春と秋の年2回は、中でも特別な優良材が出荷される市が開催されます。
”吉野には、買わせて頂くことが名誉であり、取り扱ったり、挽かせて頂くことが光栄であると感じる木があります。”
吉野杉を製材したメーカーの代表は、このように話しました。
出荷主も買い方も、年2回の真剣勝負。
樹齢200年超の杉・檜は市場を経て、建材や建具材へと、新たな命が吹き込まれます。
秋晴れの空の下、奈良県吉野郡川上村にて、伐採体感ツアー。
200年生の吉野杉を伐倒する瞬間は、誰もが息を呑む光景でした。
吉野林業の特徴は、「密植」「多間伐」「長伐期」の3つで表されます。
地拵えの後、1ha(100m×100m)の敷地に1m間隔で約1万本の苗木を植えつける「密植」から始まります。
その後「間伐」を重ね、200年後に残される立木は約2%。
1万本植林されたうち、わずか200本となります。
つまり、この日伐採された200年生 吉野杉も、200本/10,000本のうちの1本。
ここに至るまでに幾度も人の手が加わり、間伐されてきた98%の木があったことになります。
200年生に到達するまでには、その間に生産される間伐材まで活かし、山へ還元すること。
そして大径木を伐ることのできる技術者を育てていくことが求められています。
”要するにこの地域の山とは、鑑賞林ではないのです。
経済林、いわゆる人の役に立つための山でありますから、
山と共に、これを守る後継者をいかに育てられるか、という 課題も抱えているのです。”
見学者に対して、ある山守はこのように話しました。
200年生吉野杉の伐採見学を通じて届けたかったことは、伐倒の迫力だけではないということ。
川上村を訪れた方々に、感じていただけるものがあったのではないでしょうか。
★伐採体感ツアー主催「吉野かわかみ社中」について:http://yoshinoringyo.jp/
★伐採者「中平林業」について:http://nakahira-ringyo.com/
京都、北山林業に残る伝統的な伐採技法「本仕込み」。
真夏のこの時期、伐りたての北山杉は人の手でするすると樹皮が剥け、
みずみずしく引き締まった素肌があらわに。
その装いを見ただけで、
幾度も枝打ちをし、丹念に育てられた物語が伝わってきます。
機械による乾燥技術や樹皮剥きの技術が発展していなかった時代、
美しくも力強いこの景色は、北山では「夏」の風物詩でしたが、
今は1組の職人集団のみが成せるものとなりました。
大切に育てられた北山杉は、
数日間の天日乾燥の後、山を降り、磨かれ、私たちの暮らしに届けられます。
これからも大切に残していきたい日本の原風景、日本人の心です。