ここは、岐阜県中津川市(旧加子母村、旧付知町のあたり)。
国道256号から、車で約15分、「これより 国有林」と書かれた看板を抜けて、
幾度も門戸の施錠を解いてもらい進んだ先に、木曽ヒノキ備林がありました。

 

伊勢神宮の式年遷宮を始めとした、日本を代表する文化的な木造建築物への用材供給のために管理されている森林です。

今回の産地巡礼では、木曽ヒノキ備林を管理する、
東濃森林管理署の森林整備官・伊藤さんに
森をご案内いただきました。

 

 

 

 

木曽ヒノキ備林の概要

 

まず、木曽ヒノキ備林の概要は、こちらの通り。

標高:約1,000m ※見学地の場合

面積:730ha

蓄積量:32万㎥(3㎥/本と計算して、ヒノキ10万本分)

主要樹種構成:ヒノキ76%、サワラ23%

平均樹齢:300~400年

 

730haは、例えば東京ドーム155個分の広さ。
といっても想像が難しいですね・・・

平均樹齢300~400年ですが、
中には二代目大桧と命名されて象徴とされているような
千年生近いヒノキも存在しています。

 

 

 

 

木曽五木と“あさひねこ”

 

木曽地方を代表する樹木は、
「木曽五木」の名の通り、5つの樹木。
こちらは“あさひねこ”と覚えてください。

あ:アスナロ
さ:サワラ
ひ:ヒノキ
ね:ネズコ
こ:コウヤマキ

 

どうして木曽地方には、
ヒノキを中心とした特定の樹種が残っているのでしょうか?

それは、1624年(寛永元年)、
尾張藩による禁伐統制から始まった森林保護施策に
起因しています。

 

古くから森と共に育まれた日本人の歴史。
日本史の教科書で覚えたような城郭の造成、政治の流れは、
各地の森林の姿に刻まれています。
歴史ある林業地を巡る醍醐味は、
日本の歴史を身近に感じられるところにもありました。

 

そして、森の姿からみた日本の歴史として、
今回は木曽地方の森林と管理の背景を辿ります。
木曽地方は、戦国時代には、豊臣秀吉の直轄領でした。
しかし戦国時代が終わり、戦火を受けた家屋等々の修復を目的に、
江戸時代初期には、全国の山々が伐りつくされて
禿山となってしまいました。

木曽においても同様に山林資源の枯渇が懸念され、
その頃木曽地方を管理する尾張藩は、1624年(寛永元年)に
留山制度を交付することになりました。

 

この留山制度によって、「木一本、首一つ」と呼ばれるほど、
無許可で木曽の木々を伐採することは、重罪に課せられたのです。

禁伐の対象となった樹種は、
前述の「木曽五木=アスナロ、サワラ、ヒノキ、ネズコ、コウヤマキ」。

江戸時代の森林保護施策によって、
木曽地方には地域を代表する5つの樹々の資源に恵まれています。

ちなみにこちらは、木曽ヒノキの枝葉です。
木曽の森林を訪れる際には、「木曽五木」を見つけてみませんか?

 

 

 

 

式年遷宮と管理主体の推移

 

木曽ヒノキ備林を語るに欠かせないのが、伊勢神宮の式年遷宮。
20年に一度と周期を定めて社殿を更新し、新たな社殿に神体を移す儀式です。
そして神宮備林とは、伊勢神宮の式年遷宮に必要な用材を供給するために
管理される森林を指し示します。

 

 

ここで、式年遷宮と共に歩んできた木曽ヒノキ備林について、
これらの管理主体に関する歴史を辿ります。

明治に入り、尾張藩領だった山は「官林」に、
そして1889年(明治22年)、裏木曽の一帯は「御料林(宮内庁管轄)」となりました。

1906年(明治39年)から1915年(大正4年)にかけて、
御料林内に神宮備林を設定することになり
「出(いで)ノ(の)小路(こうじ)(地名)」の山一帯は
「出(いで)ノ(の)小路(こうじ)神宮備林」として神宮備林に指定されました。

 

 

しかしながら、戦後1947年(昭和22年)には林政統一によって、
全国の御料林は国有林に指定されます。
続く1977年(昭和52年)には、特定の宗教のために用いる山林から、
日本全体の文化的木造建築物への木材供給や学術研究を
目的とする備林に指定されました。

 

 

このような推移を経て、現在では国有林として
東濃森林管理署によって木曽ヒノキ備林が管理されており、
昭和以降、姫路城「昭和の大修理」のほか、
歴史的木造建造物の修復などに木材が供給されています。

 

 

 

 

 

 

1年、20年、数百年単位の森林づくりビジョン

 

12月頃から積雪する木曽ヒノキ備林は、
冬季は立ち入りを封鎖されています。
見学を申し入れた際に、
「積雪の季節までにお越しください」と教えて下さいました。
当然ながら、樹齢数百年の樹々がそびえる森においても、
その年ごとの四季を迎えていて、
また樹には新しい年輪が刻まれます。
1年間の四季に応じて、必要な施業が行われます。

 

 

一方で、四季に留まらず中長期の
時間軸を感じられることも、老舗の林業地ならでは。
とある林分では、総立てが施された伐採木の姿が見えました。

 

 

 

鳥総立て(とぶさだて)とは、伐採した杉の切り株の上に、枝葉を立てて、
木こりが神様に「この木を頂戴しました」と
御礼を伝える歴史の古い儀式の事で、
万葉集にも鳥総立てに関する和歌が詠まれています。
今回見ることができた、
まだ朽ちていないこちらの鳥総立ての姿とは、
先日2017年10月30日に執り行われた
「斧入れ式」の跡だったのです。

 

また、式年遷宮用材は、
室町時代から伝わる伐採方法「三ッ緒伐り」で伐採されるため、
3か所のツルが出た切り株が特徴的です。

 

 

これには、
①伐倒方法を定めやすい
②芯抜けしにくい
という特徴があり、単に懐古主義という訳ではなく、
丁寧で確実な伐採を行うために理にかなった伐採方法なのです。

このような切り株が朽ちない状態で残っているということは、
要するに、次の式年遷宮に向けた伐採が
先月から始まったということ。

 

1回の式年遷宮に用いられるヒノキ用材は、
実は、約8,000本にものぼります。
無論、8,000本の全てを
木曽ヒノキ備林から供給するわけではありません。
式年遷宮に用いる木材のうち、
約10%が木曽ヒノキ備林から納められます。
とは言え、樹齢300年超の樹木が、
20年に1度、一定量必要となるため、計画的な伐採でないと、資源が枯渇します。
一度にすべての用材を揃えることは出来ないので、
式年遷宮が終了した4年後には、
次の遷宮に向けた計画的な伐採が始まるのです。

 

 

森林管理官・伊藤さんのお話を聞きながら、
まっすぐ高く佇む樹々を見つめていると、
この森林を守ろうと保護施策が定められた江戸時代には、
どんな景色が広がっていたのだろう?と
想像の中でタイムトリップするような気分になりました。

木曽ヒノキ備林の中には、
・1624年 尾張藩による禁伐統制を皮切りに、数百年単位で守られた資源
・20年に1度の単位で行われる計画的な伐採と森林管理の仕組み
・1年間の四季に応じて、森林管理の土台となる施業 がありました。

 

 

今回は、日本三大美林のひとつ木曽ヒノキの産地を巡りましたが、
木曽地方の他にも、日本には歴史の古い林業地が各地に地域名を冠したブランドとして残っています。

それぞれに、その地域の森林資源を残し活かそうとした歴史があり、
そこには後世に残そうとしてきた「人」の想いと施業の「コンセプト」をもとに、長期施業のビジョンがあり、
現代にも美しい森林の景色として、根付いているのです。

 

 

 

このように森と木を切り口に日本の産地を巡る旅に、ご一緒してみませんか?

今回は、式年遷宮に纏わるエリアを巡った、
産地巡礼の森林ツアー編をお届けしました。

続いては、「日本一美しい村でみた、工場編」をお送りします。

 

 

 

Posted by wpmaster on 水曜日 11月 29, 2017 Under pick up, すべての記事, 講演&研修 報告

Comments are closed.